『裕介が死んだ。』それを聞いたのは、久々に大忙しだったバイト帰り、2月とは思えない温かい夜空の下、いつものように音楽を聴きながら、駐車場に向かっている途中だった。友人からの着信履歴に気付き、呑みの誘いかと思い、上機嫌でかけ直す。友人からの一言、言っていることは聞き取れたのだが、何を言っているのか理解できず、歩く足が止まった。
訃報を聞いてから、目まぐるしい勢いで時間が過ぎていった。久々に更新するブログがこんな内容になるなんて思っていなかった。本当に急なこと過ぎて、未だにこれといった実感は無いのだが、もうAPUに行っても、携帯を鳴らしてもあいつはいない。今感じていることだけでもここに残しておきたいと思う。
裕介の訃報を聞いて翌日から友人と集まったものの、本当に何をしなきゃいけないのかもわからず、ぼーっとしていた。慣れて無いっていう言い方は良くないけど、不慣れすぎてどう対応したほうが良いのかも、みんなに伝えたほうが良いのかも、何もかもわからなかった。でも、とりあえず裕介の周りの人には知って欲しかったっていうのもあって色んな人に連絡した。
何をやっても意味のないようなことだと感じたが、何もしないよりはマシなので、裕介へのメッセージを集めた。あの時、あいつの死を偲ぶ他に、それくらいしかあいつのためにできることは無かったんだと思う。
学校で集め始めて、たくさんの人が書きに集まってくれた。先輩も同期も後輩も。みんな受け入れたくない気持ちと受け入れなきゃいけない気持ちが交錯して、何を書いたら良いのかわからなかったみたいだ。実際、ボクも最後の最後まであいつの死を受け入れることができず、メッセージは1番最後に書かせてもらった。
メッセージを集め続けた3日間で、裕介の学生生活の4年間に出会ったたくさんの人に会った。中には共通の友人もいれば、全く関わったことのない人もいた。そいう人達と話したりメッセージを代筆させていただいた中で、東裕介という男の人望と、底力を感じた。『友達少ないもんね。』といつも言っていたあいつだが、そんなこと微塵も感じなかった。ボクの知っているどんなやつよりも情に厚く、素直で前向きな裕介はみんなに愛されていた。
通夜と葬儀にも見たことの無いほどたくさんの参列者の姿があった。突然の訃報を聞きつけ、遠方から駆けつけてくださった方の姿もたくさん見られて、本当に幅広い方々から愛されていたやつだったんだなと思った。そんな裕介が心の底から羨ましかった。
悲しみに包まれた葬儀場の外では、別府マラソンで大勢の人が選手に向かって声援を送っていた。一生懸命ゴールに向かって走るランナーたちの姿を見て、今ボクたちが生きている時間の流れを感じた。時間は決してみな平等では無く、残されたボクたちには、裕介が過ごしたかった時間がたくさん残されている。
ボクたちにできること、それは、裕介のことを忘れないこと、そして、いつ終わるのかわからないこの時間を裕介の分も一生懸命に生きていくことだけだ。
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