2013年2月26日火曜日

さぁさぁこれから。

 昨日無事に不動産屋への書類提出と入金も終わり、3月1日から正式に入居することが決定しました。家は餅ケ浜のマルショクから歩いて2〜3分にある、見た目が廃墟みたいなアパートです。何度も書いているように4LDKを5人でシェアしてるんでみなさん遊びに来てください。全力で接待します。

 先ほどキャンパスターミナルをチェックしたら、残念ながらAPU入門のTA落選してました。無念。縁がなかったのか実力不足なのかどうかはわかりませんが、ここは切り替えて、来春からの下界生活に集中していこうと思います。でもTAやってみたかったなぁ。

 バイト先にも退職する日を告げて、こうやってのんびりできるのも残り2週間弱となってしまいました。どこか寂しく感じるところもありますが、残りの期間を有意義に使いながら、新生活の準備をして行きたいと思います。鳥栖在住のみなさん最後に相手してください〜。

 

 3月1日に何も無いガラッガラの新居で、時間があったら簡単なパーティするかもなので、お時間に都合が着く方は参加していただけると嬉しいです。パーティする時はTwitterとかで呼びかけるんでチェケラよろしくおねげぇーします。ではでは。

 あぁーゆっくり沖縄行きたい。海外行きたい。海入りたい。

2013年2月23日土曜日

すこぉーしずつ

 少しずつだけど1年半の休学生活を振り返ってる。ふとFacebookの投稿履歴を遡ってみると、目を疑いたくなるくらいサブいことを書いてたりして、『Facebook丸ごと消えてしまえバカタレが。』と思ってしまったが、まぁそれはそれでその黒歴史を愛せるようになったら良いのかな。なれない気がするけど。


 今となって1年半前の自分を思い返してみると、本当に根拠のない自信に満ち溢れていたなあと。休学して色んな人に『丸くなった』と言われた理由も少しわかる。今は正直、クソカッコつけてる感半端ないしそれが滲み出てるからクソダセェワロスwwwみたいな感じなんだけども、まぁそれを自然な形で自分式に落とし込めたら良いねぇ。まぁーだまだ。

 
 良くも悪くも自分の外見や内面の変化を自分で感じられるのは幸せなことだ。すごくチンケな考えかもしれないけど、それだけでも休学した価値はあったと思う。楽しみもあるし不安もいっぱいある復学に向けて今はジッと備えようかな。



2013年2月18日月曜日

わくわく

 シェアメイトが3人から5人に決まり、3月からの入居に向けて今から色々準備しないといけないなと。別にまだ深いことなんて全く決まっていないんだけども、全員お酒呑めるみたいだし、みんなで机囲んで、各々好きなお酒ちびちび呑みながら話すのを想像しただけでワクワクする。

 小さいことだと、皆の読んでる本や雑誌や漫画を本棚に並べて、ウチの家にしかできない個性溢れる本棚を作るのが楽しみ。お互いのアイデアのシェアみたいな感じで、お互いにもっと興味を持つだろうし、そこから生まれるコミュニケーションにも興味がある。

 前に先輩にも言われた、『周りとの温度差』にもちゃんと配慮しながら自分だけで突っ走らないように気をつけてるつもり。自分1人でやるシェアじゃないので、5人全員のカラーが引き出せるような家にしたい。

 やってみたいことを口に出してそれをズラズラと並べることは容易だけども、結局行動に移して形にすることが難しい。ちゃんと計画しながら来てくれる人にも満足してもらえるようなことやっていきたいな。サークルに入るつもりも全く無いので、残りの1年半の学生生活は悔いの無いように、大好きな別府を満喫できたらなと思う。

 俗に言う『レジェンド』とかになりたいわけじゃないけど、他にもシェアハウスする人たちいるみたいだし、みんなで協力して、みんなの記憶に残るようなことやっていけたらなぁ。


 長いような短いような休学生活も残り1ヶ月弱。休学生活を通して考えたことやこれからのことはゆっくりまとめたいと思う。復学前に簡潔にまとめてみなさんに見せれるようなものになればいいね。数少ない読者のみなさんそれまでお待ちを。



2013年2月15日金曜日

おとなしく

 本当にどうでも良いことばかりを考える。何にも身が入っていないような感覚は久しぶりだ。生きている心地がするのは、おいしいご飯を食べている時と友人と談笑している時のみ。それ以外では無駄なことばかり考えてしまい、あまり良い心地はしない。


 年の初めにこんなこと言うべきではないのかもしれないが、今年はあまり良いことが起きないのかもしれない。今までが上手く行きすぎた。そんな苦難に鈍感になってしまった自分にとっては良い機会なのかもしれない。


 良いことが起きないという不安にばかり駆られていても、物事は前にも後ろにも進まない。変化の無い日常程苦しいものが無いのはマルタにいた時に学んだ。自ら何かを変えんとする姿勢は、必ず何かをもたらしてくれる。幸も不幸も。


 同級生たちは今年から社会に飛び出す。学生から社会人へ。ここまで大きな変化はこれから先中々無いだろう。それに反してボクは学生に戻る。これもまた大きな変化だ。不安もあるが、期待もある。



 周りの変化に惑わされぬよう、落ち着いて、そして前向きに。

2013年2月13日水曜日

けんじゃたーいむ

 今流行のweb系についてとか時事問題についてなんていう気の利いたこと書けないからブログに書くのはもっぱらその日に感じたことや本とか映画とかの感想。書けば書くほど余計に自分自身の性の悪さを知らしめているように感じる。

 酒が回ると、急にデカイ口を叩き始めるのが悪い癖なのは重々承知である。クソガキの分際で説教をし始めることもあり、翌日の朝には凄まじい罪悪感とともに目覚めることもしばしばである。毎度のように『もうお酒は呑み過ぎません。』と神様仏様に誓った数は、歳の数を遥かに超えただろう。しかし、やっぱりお酒を呑まないのは無理だ。でも、気をつけよう。

 最近良く読むのはエッセイ本が多い。別にそう偏って選んでるわけではないんだが、気づいたらそうなってる。(ってことはやっぱエッセイ本が好きなんだろう。)村上龍とか伊集院静とかのTHE 大人の男のような人のエッセイは読んでて心現れるというか、読んでいるだけで今までの自分が恥ずかしくなってしまうような気分になる。まさに賢者タイム。


 内容を簡単にまとめると、「日本人の男としてこうあるべきだろうが。」と書いた指南書かなぁと。男として、人としての品格について書かれている。大人としての品格について問われると、大人ってややこしいなと思うところもあれば、潔さや清さにかっこ良さをも覚える。

 自分自身の歳も二十歳を過ぎ、世間一般で言う『大人』である自分に対して問いかけてみても、『大人』である自覚が薄いからなのか、詳しく問うことはできなかった。でも、この伊集院静の男としてのかっこ良さには、気付かされることがたくさんあって、これから少しずつ大人になるにつれて実行していければと思う。(こんな薄っぺらい感想なのは酔いが回ってきたから・・・。いかんいかん。)

 この本を手にとった理由は本当に簡単なもので、最近2年間付き合っていた彼女とお別れをしたのをキッカケに色々と考えることがあって、それに引っかかることを本の表紙に書いてあったから。結果的にはフラれてしまったんだけど、それにはやっぱりそれなりの理由があるわけで、その理由を探るキッカケになりそうな気がしたし、もっと自分を磨こうと思ったのが1番の理由。

 この日々のブログも自分の考えをまとめる自分磨きの一環として始めたけれども、書きながら学ぶことも多い。就活の準備もしなくてはいけない今年は、ブログを書くことが多い1年になりそうだ。

2013年2月12日火曜日

いままで

 何回言ったら気が済むのだと、自分でも思うほど暇だ。重症だ。昨日は地元の友人たちと福岡大学近くに佇む友泉亭という日本風の趣深い庭園に足を運んだ。お目当てのお抹茶は祝日ということもあってか、夕刻前には完売御礼であった。お抹茶は飲めなかったものの、風情ある庭園をゆっくりと歩くことが出来ただけでも足を運んだ価値はあったと思う。

 久々に祝日らしい祝日を過ごしたことで、先週から続いていた疲れを癒すことが出来た。こんなどこにでもいるような男を誘ってくれた友人たちには本当に感謝してる。地元の繋がりも大切にしたいと思えた日だった。

 世の学生たちは、テストから解放されて春休みまっただ中。Facebookを見ても旅行に向かう、行ってきますの投稿ばかりである。このリア充共め。そんな中にも、春休み返上で就活に勤しむ友人たちの姿もチラホラと。面倒くさくて凄く難しいらしい就活に日本中を駆けまわる友人たちの姿は、ボクの就活への興味をドンドン削げ落としていく。凄く楽しみだし楽しみたいのに・・・。

 春休みといえど、人によって時間の過ごし方は全く違う。昨春入学したばかりの大学生たちは、入学してから出会った友人たちとリア充旅行のまっただ中だったり、自分磨きに一生懸命励んでいるのだと思う。そんなのお構いなしにパチンコに行ってバイトをしてなどといつもと変わらぬルーティンな日常を過ごしている人もいるんだろう。いっつもったいなぁーい。

 そんなボクの1回生の時の春休みというと、大学の寮の寮長としての仕事(あれを仕事と呼んでいいのか?)とサークルの準備で大忙しだった。周りの人の協力なしでは絶対に成り立たないスケジュールだった。あの頃は今で言う『意識の高い学生(笑)』だったと胸を張って言える。スケジュール帳に書いてあるおびただしい数のMTG(ミーティング)の3文字を眺めてはニヤニヤしていた。非常に気持ちが悪い。

 別に意識の高い学生に対して否定的なわけではなく、その忙しいスケジュールを人前でひけらかすようなしょうもないことをFacebookなどに書いてしまうようなことにはあまり賛成できないだけだ。忙しいなら忙しいで誰にもひけらかさずにキッチリとやってのければ良い。その方が数百万倍カッコイイ。こんなことFacebookなどに書いてしまうと影でこっそりと嫌われるんだろうけども。

 今となっては、次の夏休み何しようとか春休みは何をしようなどと考えることすら無くなってきている。それが悪いことなのかも良いことなのかもわからないのは、そういうその時にすべきことというのは日々アンテナを張っていれば自ずと向こうからやってくるものだと思うから。

 そんなボクの姿は彼らからすると『意識の低い学生(涙)』なのだろう。

2013年2月10日日曜日

ちーぷ?

 毎回のエントリーのタイトルは、文章を考え始めた瞬間に思った一言だったり単語なので全く内容に関係ないことがあるのは、読んでくれている数少ない方々ならわかっていただけると思う。毎回ひらがななのは、ただ単にひらがなの持つ丸みが好きなだけであって、可愛い子ぶってるわけではない。クソオッサン学生が可愛い子ぶることが許されるほど世の中甘くないことくらいこんなクソオッサン学生でもわかっているつもりである。

 暇な時間は本当に怖い。ずーーーーーっと本を読んでしまう。(別に自分が読書家だと自慢したいわけじゃない)英語で暇を潰すことを、" kill the time " と表すのはそこらへんの普通に勉強して、俗にいうFラン大学に親のスネかじって通っているような学生でもわかることなのだが、ボクは " READING "" TIME "" KILL " しているのである。たまに " NAP "" TIME "" KILL " することもある。とまぁなんとも胡散臭い留学帰りアピールは置いといて、今回も読書で時間を殺した結果に1冊殺し終えたので、その紹介。(読破したわけではないので殺したという表現はおかしいのかもしれない。)



 1995年初版の本なので、書いてある内容も少し前の時事問題について皮肉っていたりだったりで、時代を感じるのだが、メインは松本人志のお笑い論だったり、世の中に対する苦言だったりと、TVでは中々観ることのできないブラックな松本人志を感じることができる。そのブラックな部分が『悪』と言いたいわけではなく、正論の部分もたくさん見受けられる。
 
 元々は週刊朝日のコラム連載をまとめた本書なので、エッセイという部類になるのだろうか?この『松本』の前に『遺書』という本も出しており、この『松本』が『遺書』の続きである。別にこれといって続編と思わせる部分は無いらしいが、本人曰く、色々とよく書けた時もあれば、後から読み返すと首を傾げるような時もあるらしく、それを自分の中で探しながら読むのも楽しいかと。とりあえず『遺書』を探さなければ。

 昨日のエントリーでも紹介したように、誰の影響も受けずに独自のスタイルを確立し、『笑い』について誰よりも追求してきた松本人志の『お笑い論』は興味深かった。あたかも自信に満ち溢れいるかのように感じさせる文章なのだが、何度も笑いに対する恐怖を語るのが、孤高の天才も1人の人間なのだと認識させてくれる。この本を読んだことでまた違った視点から松本人志をTVで観れるかと思うと、楽しみで仕方ない。とかいうありきたりな締めで終わらせるのは眠いから。おやすみじゃぱん。

 
 この本はBook Offで105円でした。やっすー!

2013年2月9日土曜日

ひと

 本を読んでこんなに感極まったのは初めてだろう。最近自分の身の回りで起きたことと本がシンクロする感覚、気づいたら涙がこぼれていた。人の『死』を通して人との『付き合い方』を考える。そんな中読み終えたこの本を紹介したいと思う。


 この本は、お笑い芸人だけが『藝人』ではなく、ミュージシャン・アナウンサー・作家・映画監督 etc 、全ての『藝』を持つ者、携わる者を『藝人』と呼ぶ、自称芸能界ルポライターである水道橋博士が「あの世」と称した芸能界を愛とユーモアで編ったエッセイ。文中ところどころに散りばめられた皮肉の中に混在した愛とユーモアのこもった文章と、1人の藝人としてのスタンスを崩さずに描くそれぞれの人物への尊敬のこもった文章は圧巻。笑いあり涙ありだけではまとめ切れないこの本は本当にオススメです。
 

 そのまんま東・石倉三郎・草野仁・古舘伊知郎・三又又三・堀江貴文・湯浅卓・苫米地英人
テリー伊藤・ポール牧・甲本ヒロト・爆笑問題・稲川淳二・松本人志・北野武


 それぞれの章に読者として思い入れがあるが、個人的には松本人志北野武という2人の孤高の天才藝人について綴った章が1番印象的だった。

 水道橋博士が崇高してやまない師 北野武への畏敬の念と、同世代ながらも、あの世の頂点に君臨する北野武をも越えんとする松本人志への敬意を表した章なのだが、誰にも影響されない2人の孤高の天才の生き様と、心のどこかで互いを意識し合う2人の目に見えぬ熱い戦いには胸躍らされた。1人の男として、この2人のいつ終わるのかわからない熱い戦いに憧れを抱き、2人の人物にさらに興味が湧いてきた。
 

 文中に多く取り上げられるのは師 北野武とのエピソードである。男としての生き様を示してくれる『師』に対する水道橋博士の畏敬の念は、まさに風雲たけし城ならぬ、あの世の頂点に君臨する将軍と家臣の関係である。たけし軍団という藝人臭い集団の中で、揉まれながらも、我が道を生き続ける将軍の、人情味あるキャラクターと男としてのカッコ良さに憧れを持つ水道橋博士の姿には感動した。


 ボクにも『師』と呼べる人が見つかったのは最近のことで、目標となる人ができたのは本当に嬉しい。単に先輩・後輩や、年長者年少者の仲ではなく、それを超えた、人として尊敬できる人、そういう人に出会えたことは本当に幸せなことであり、そういう人が身近にいる事自体に感謝したい。

 いつかその『師』の名に恥じないような人間になれたら、将軍に仕える家臣として本望である。


 この本の目次で、ふと思うことがある。「なぜ北野武と松本人志という偉大な2人の章が締めではなく、最終章に稲川淳二の章があるのだろうか?」どの章から読んでも楽しめるこの本だが、この謎は最後まで読んだ人にしかわからぬ、水道橋博士の遊び心なのかもしれない。そんな水道橋博士も1人の藝人なのだ。

2013年2月5日火曜日

ありがとう

 『裕介が死んだ。』それを聞いたのは、久々に大忙しだったバイト帰り、2月とは思えない温かい夜空の下、いつものように音楽を聴きながら、駐車場に向かっている途中だった。友人からの着信履歴に気付き、呑みの誘いかと思い、上機嫌でかけ直す。友人からの一言、言っていることは聞き取れたのだが、何を言っているのか理解できず、歩く足が止まった。
 
 訃報を聞いてから、目まぐるしい勢いで時間が過ぎていった。久々に更新するブログがこんな内容になるなんて思っていなかった。本当に急なこと過ぎて、未だにこれといった実感は無いのだが、もうAPUに行っても、携帯を鳴らしてもあいつはいない。今感じていることだけでもここに残しておきたいと思う。
 
 裕介の訃報を聞いて翌日から友人と集まったものの、本当に何をしなきゃいけないのかもわからず、ぼーっとしていた。慣れて無いっていう言い方は良くないけど、不慣れすぎてどう対応したほうが良いのかも、みんなに伝えたほうが良いのかも、何もかもわからなかった。でも、とりあえず裕介の周りの人には知って欲しかったっていうのもあって色んな人に連絡した。
 
 何をやっても意味のないようなことだと感じたが、何もしないよりはマシなので、裕介へのメッセージを集めた。あの時、あいつの死を偲ぶ他に、それくらいしかあいつのためにできることは無かったんだと思う。

 学校で集め始めて、たくさんの人が書きに集まってくれた。先輩も同期も後輩も。みんな受け入れたくない気持ちと受け入れなきゃいけない気持ちが交錯して、何を書いたら良いのかわからなかったみたいだ。実際、ボクも最後の最後まであいつの死を受け入れることができず、メッセージは1番最後に書かせてもらった。

 メッセージを集め続けた3日間で、裕介の学生生活の4年間に出会ったたくさんの人に会った。中には共通の友人もいれば、全く関わったことのない人もいた。そいう人達と話したりメッセージを代筆させていただいた中で、東裕介という男の人望と、底力を感じた。『友達少ないもんね。』といつも言っていたあいつだが、そんなこと微塵も感じなかった。ボクの知っているどんなやつよりも情に厚く、素直で前向きな裕介はみんなに愛されていた。

 通夜と葬儀にも見たことの無いほどたくさんの参列者の姿があった。突然の訃報を聞きつけ、遠方から駆けつけてくださった方の姿もたくさん見られて、本当に幅広い方々から愛されていたやつだったんだなと思った。そんな裕介が心の底から羨ましかった。
 
 悲しみに包まれた葬儀場の外では、別府マラソンで大勢の人が選手に向かって声援を送っていた。一生懸命ゴールに向かって走るランナーたちの姿を見て、今ボクたちが生きている時間の流れを感じた。時間は決してみな平等では無く、残されたボクたちには、裕介が過ごしたかった時間がたくさん残されている。

 ボクたちにできること、それは、裕介のことを忘れないこと、そして、いつ終わるのかわからないこの時間を裕介の分も一生懸命に生きていくことだけだ。