2013年1月29日火曜日

はいいろ

 やっとこさ読書が義務化ではなく習慣化してきた。留学期間中は読みたい時に読みたい本を読めなかったので本当に辛かった。何が辛かったかというと、周囲との圧倒的なインプットの差を感じた。本だけがインプットの方法じゃないけど、今まで知らなかった世界を知るキッカケをくれたり疑似体験した気分になれる本は本当に素敵なツール。本は読むべき。異論は認めない。

 まぁ最近こんな感じで色々読んでるんだけど、久々に『おおお!』って本があったので紹介したいと思う。その本は、


 内容はタイトル通り今話題の風営法について。クラブに行ったりする人は知っていると思うけど、今全国のクラブで一斉に警察によるクラブの摘発が行われている。これを正当な取締と呼ぶのか、浄化というのかは人によると思う。

 ボクがこの前行った福岡のクラブではどこのクラブでもある時間(たしか23:00くらい)になると店内清掃という形をとって一度お客さんを店の外に出して、ダンス禁止を名目にもう一度営業を再会するという形をとっていた。一度客を入れ替えないと客にダンス禁止を呼びかけれないのかどうか理由は詳しく知らない。店の前に『ダンス禁止』と掲示しているお店も目についた。そうまでもしないといけない程深刻な問題なんだろう、お店にとっては。

 この風営法はクラブだけじゃなくもちろん風俗と呼ばれているような営業にも該当するので、飲食店もそう。調べてみると飲食店を経営するにしてもお酒を夜12:00以降に販売するだけでも許可いるなど、色んな許可が必要で簡単じゃないみたい。

 そういう隙間をかいくぐって、グレーゾーンで今まで運営されてきてたのが日本各地のクラブやディスコと言ったたぐいの社交の場?娯楽施設?ドラッグの温床?だった。今までは経営者側も警察側もあえてそこには触れずにお互いに協力して営業していたのだが、昨今のうるさい社会が黙っていないらしい。

『法律に触れてるから必ず絶対取り締まるべきだ!どんな理由があろうと!』

と言うような、事件の前後関係も知らぬまま絶対悪だと信じきっている人たちが偽善ぶって警察に通報する。それで今まで上手く保たれていた相互の均衡が一気に崩れて、ホワイト(良い)な方向に転ぶこともあれば、元々グレーゾーンなことなので、完全にブラックな方に転ぶことも多々あるとか。とまぁ、これ以上言っちゃうと完全にネタバレなので、ここからは読んでみての気付き。
 

 正直この本を読むまでは、先述した偽善ぶって『法に触れてるしダメなもんはダメでしょ。』と傍観している人の側だった。風営法に触れてるんなら風営法に触れないようにすればいいじゃんと思っていた。でもその考え方こそ『ダメなものはダメ。以上』という思考の停止を引き起こしていた。それには「はっ」とさせられた。ダメならダメでなんでダメなのか?それを打開する策はないのか?とかそこから考えられることはたくさんあると思う。
 それだけでなく、もの事の前後をちゃんと確認する必要があるなとも思った。歴史は歴史に学べ!とか歴史は繰り返される!みたいな感じで過去に似たような事例は無かったのか?とか(実際にあった。事例は本書で。)と調べれば少しでもヒントは得られるだろう。そして、その後のことも考える。もし、風営法にひっかかるお店を全て浄化してしまったらどうなるのか?と考えると色んなことが思い当たる。

 読んだ中で一番印象的だったのは「グレーゾーンを楽しむ」ということ。ちょっと前に大学の寮で寮長をしていた時にまさにグレーゾーンと言われている問題が山ほどあった。ちょうどその頃リーダーをしていたので、「この問題たち全部を白か黒に分けよう!」と思っていた。でも、色々周囲の変化とかメンバーや寮生が対応できるのか疑わしかったのでやめた。
 あれが正しい選択だったのかはわからないが、あの頃のボクにはグレーゾーンを楽しむという発想は無かった。確かに、禁止すれば禁止するほど影でコソコソ見えない所で動いていたりする。そういう意味でもお互いの理解の中間をとったグレーゾーンという選択もありなんだろうなと。

 この本を読み終わって、事象に対する考え方を学べただけでも、この本を読んだ意味は大きくあった。宮台真司さんや津田大介さんや坂口恭平さんなど色んな論客を招いてこの一冊をまとめているので、かなり読み応えがあるし、余韻を楽しめる本だと思った。


 初めてこんなジャーナリズム満載の本読んだけど、病みつきになりそうだわさ。

2013年1月28日月曜日

おかねがきらい


 なんでこのことについて書きたくなったのか正直覚えてないけど、Evernoteに色々残ってたんで発散させようかと思いながら書いてる。色んな人のブログ読んでるけど、ボクのブログみたいに言いたいこと言いたいようにぶちまけてる人もいれば、誰かに諭すように訴えかけている人もいる。ブログのトピックとかも絞ってるやつは読み応えあるから好き。 
 相変わらず家では消費を極限までに絞るためにバイト以外は極力外出しないという強硬姿勢にでている引きこもり状態。そのおかげで金銭面ではプラスのほうが多い。でも外に出てない分色んな機会は損してるんだろうな。鳥栖は別府ほど外に出て何かしようとか思うような街では無いので誘惑は少ない。(そう思ってるのはボクだけかもだけど)家にこもってた方が読書したりネットしたりでリアルじゃない体験だけど、インプットはできる。アウトプットの場としてEvernoteとかブログに書いてるわけだけれども。 
 まぁ美味い飯はバイト先で死ぬほど食べさせて頂いてるので満足。温泉とか100円で入れないし、酔った後に歩いて帰れるような距離に家が無いのは痛い。タクシー使っちゃうからそこらへんも考慮したうえで遊ばないと・・・。美味しい居酒屋さんとか揃ってるのは嬉しいんだけどね。 
 まぁ全部はお金なんだよねお金。お金が無いと遊べないし美味しいものも食べれないんだよね。買いたいモノも買えないし、行きたいところにも行けない。そういうところから「お金持ちは自由で何の不自由もなく暮らして幸せだ。いいなぁいいなぁいいなぁ・・・つまりお金持ち=凄い人=偉い人」っていう発想が生まれるんでしょう。そういうの本当に嫌い。 
 でもお金で買えないものが1つだけある。それは「幸せ」。「お金で買えないもの、それは「愛」だ。」とかいうクサイ台詞と同じくらいにクサイけど、幸福度って人によって様々なわけで、車1台あれば幸せって思う人もいれば、何百台あっても足りない人もいる。まず、「幸せ」に値段は付いてない。人それぞれの値段で幸せを決めることができる。 
 そういう意味で、あの世界幸福度指数っての打ち出してるのは、国ごとの幸福度指数の基準とかどう見てるんだろうかって気になる。その中でもトップって言われてるのがブータンなんだろうけど、間違いなく日本とブータンでは幸福度の基準値が大きく違う。 
 話を戻すと、人は欲張ろうと思えばいくらでも欲張ることができる。その反対に欲を我慢しようとすることは本当に苦しい。だから無理はしないで自分の幸せと感じてる範囲内で楽しむことをもっと肯定した方がいいと思う。 
 お金に目が眩んで、「金金金金金金金ぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」みたいなこと言ってても、つまらない。全然素敵じゃない。これは身をもって体験したことだけど、お金のことばっか考えてたら、それと比例して自分に余裕が無くなる。ビックリするくらいケチになるし、どうでもいい事でイライラするようになる。 
 「でもさ、お金が無いと死んじゃうじゃん!生きていけないじゃん!」っていう人がいるなら1度やってみればいいと思う。絶対死なないから。自分を追い込んじゃう場合は違うけど。金が無いなら無いなりの生き方ってのを自分で見つければ良い。そこで結局は自分の欲に縛られてたってのがわかる。 
 坂口恭平さんの言葉を借りると、「金なんてただの日本銀行券っていう紙切れ。」。まさにその通りだと思うわけです。もっと価値あるものを見つけ出してほしい。例えばだけど、お金が無いなら物々交換で生活していけば良い。そんなの絶対無理だと思う人がいるかもしれないけど、やってみないとわからない。だからこそ今度始めるシェアハウスで行うイベントは物々交換で運営していこうと思う。限りなくフリーで、物々交換だけで運営する。利益なんて出す気さらさら無い。これもまたみんなに相談しないとね。 




 でも悲しいかなお金が無いと何もできない世の中なので、ボクはお金が欲しいですぇ...

2013年1月24日木曜日

わかれはであいのはじまりとかいうあれ。

 『男・女が◯◯なのははるか昔人間が狩猟民族だった頃に由来する。』

といった感じにまとめた本が「一目惚れの恋愛学」。久々に恋愛に関する本読んだけど、中々興味深い内容でスーッと読めた。最初に書いた通り、全てはそこに結果が結びついちゃうんだけど、右半身と左半身がシンメトリーであればある程健康的で生殖能力が高いし、魅力的らしい。
 でも、全てに関して『〜は狩猟民族だった頃の名残で〜なのである。』って言い始めちゃうとなんともまぁ味気のない恋愛になっちゃう気がする。もっと直感で素直に恋愛がしたい。そういう名残が残ってるとしても、今しか使えないツールを使いながら、今風の恋愛ってのも悪く無いなぁと思う。それに反して小説好きな人とかは、古風な恋愛に憧れたりっていうのもあって、人の恋愛のスタイルは人それぞれですごく素敵だ。
 この本の中で1番共感できたのは最後の部分の『筆美人は本物の美人』っていう部分。メールはメッセンジャーやラインや電話もあるけど、口で言うには恥ずかしすぎるし、日頃使わないような言葉を使うのは恥ずかしいから、綺麗な言葉(偽善とかじゃなく)を使って書いてみる手紙っていうのもまたよきかなぁーよきかなぁー。
 

2013年1月14日月曜日

いんまいおぴにおん

 マルタに行く前に、何か留学する前に準備しなければと思い、まず勉強し始めたのは『宗教』について。と言っても、主にキリスト教世界。ボクは日本式仏教徒なんだが、それ以来ボクの興味関心は『宗教』に注がれている。別にキリスト教に改宗する気もサラサラ無く、新興宗教にどっぷり浸かりたいとかそういう考えも一切無く、ただ興味があるだけなので変な心配なさらないでください。
 宗教に興味を持ち始めて色々調べたりはしたが、最近読んだ宗教に関する本が面白くて、色々悩んでいる自分に新しいアイディアをくれたので紹介したいと思う。

 本のタイトルが胡散臭くてちょっと手を伸ばし難いのだが、この著者に惹かれてジャケ買いならぬ著者買いをしてしまったというのがこの本を買ったキッカケだった。著者の苫米地英人については以前少し見聞きしていたので、彼の著書は帰国したらスグに読みたいと思っていた。色々な肩書きを持ち過ぎていて一言でどんな人と紹介したら良いのかわからないのだが、近年ではオウム真理教信者の脱洗脳をした人物として有名。著書に『洗脳広告代理店 電通』『君は1万円札を破れるか?』などとまぁたくさんあるので、気になる人がいたらチェックしてみるとおもしろいと思う。
 さて、本の内容なのだが、主に宗教における言語束縛キリスト教の歴史現代世界を狂わすお金教世界宗教の作り方についてが書かれている。お金教についての部分で経済学的視点が多いので、この本の全てを理解したとは言い難いのだが、彼の世界観や美学が本全体に散りばめられていて面白かった。宗教についてだけではなく、最後の最後でちょっと自己啓発っぽいことが書かれていて、それが今の自分の状況に当てはめることができて面白かった。それもまた宗教っぽい感じがして、苫米地英人教信者になってしまったのかな?とも思ったりした。もっと本の中身が知りたい人がいれば直接説明した方が面白いと思うのでいつでもどうぞ。

 この本の最後の最後に『自分教を作れ』と書いてある。簡単に説明すると、『宗教的概念やお金や周囲の人に影響されない自分だけの指針を持つことを目指して欲しい。しかし、その自分だけの指針が完璧な理論なわけではないので、勘違いしてそれを相手に強要したりせず、自分だけの視点で世の中を見ることを目指して欲しい。』ということらしい。この最後の部分が今の自分に凄く当てはまっていて、反省させられた。
 最近周囲との間にぎこちなさを感じていて、その理由がわからなかった。この感覚は2年前くらいにもあって、話が全く合わないし、自分の考えを言ったところで何も返って来ない。その時は、自分に対して驕り高ぶっていたので反省し、自分が話を合わせられるように知識量を増やせば良いと思っていた。
 でも今回はちょっと違うような気がした。まさにこの本の最後に書かれている、自分の意見を相手に強要し過ぎたのかな。周囲の人たちが自分から離れていく感覚を久々に味わって、より一層もっと周囲の人を大事にしようと思えた。喋り方も、態度も、全てを考え直す良い機会になった。
 女の子はもちろん、男にもモテるような人になりたいね。人として。

2013年1月8日火曜日

これとかあれとかそれとか

 じぶんのしらないところでどんどんきょりがはなれていってきづけばきらわれててなにをしたかもまったくみにおぼえがなくてむかしなかよかったともだちともきづけばどんどんからまなくなってよばれたのみかいにもかおをださなくなってあぁそんなもんだったのかとかこころのどこかでだれかにうらぎられてもしかたがないとかそういうことをおもってるからひとのことぜんぜんしんようできないせいかくもぜんぜんなおらないしさらさらなおすきもないのでこのままのすたんすでいこうときめたせんじつぼくのじんせいにおおきなえいきょうをあたえてくれたゆうじんからねんがじょうがとどきおれとまったくおんなじことがんがえててしょうじきたくさんともだちはいるけどほんねでむきあえるともだちはそのなかのすうにんだけでそのなかでもおまえはとくべつだとかかいてあってどこのゆうじょうあつあつまんがだよとかおもいまながらもしょうがつからなみだながしながらこれからもこいつだけはだいじにするとこころにちかったとかいういいはなしがしんねんいっぱつめにあったことでことしもいちねんやっていけますとかいういきおいでかこうとおもったこんかいのえんとりーをよみなおしてみたがなんだこれじょしみたいじゃねぇかとかおもったっていうえんとりーをかいてみましたそうですこれがぼくがさいきんどんよりおちこんでたりゆうですはい。

" Bless you. " が聞こえない。

 地球滅亡が叫ばれた2012年もあっという間に過ぎ去り、あっという間に2013年。「2013」という数字を見て何だか見た目に違和感を感じつつも、また来年も同じようなことを言っているような気がする。
 年の瀬ということもあり、Facebookを除くと友人たちが昨年の総括や新年の抱負をズラズラと綴っていた。面白いことにそういうことをしているのは日本人だけで、他の国の人達はというと、 " Happy New Year! " ぐらいなもんなわけです。「なんと礼儀正しい国民性なんだ!」と感心しつつも、どっちが良いとか無いんだろうけれども、本当にどうでも良かった。
 帰国して、友人たちに留学していた時の話をする度に言われる「そんなに楽しかったならなんで帰ってきたの?」。この言葉を聞く度に、自分でも「なんで帰ってきたんだろう?」と首をかしげてしまう。残ろうと思えば残れたわけだが、帰国という選択をしたボクは今日本にいる。朝起きれば「おはよう。」仕事が終われば「お疲れ様です。」くしゃみをしても「・・・。」まぁ普通に考えて「くしゃみしたぐらいで反応するなよw」と言いたくなるだろうが、凄く寂しい。ボクが英語に関してものすごく固執しているわけでもないが、くしゃみをする度に自分が日本にいるんだと感じる。
 今考えてみると、あの頃は本当に楽園にいたんだなと思う。大して成し遂げたことがあるわけではないが、色んな考えを持った人たちとの出会いの数々はボクを成長させてくれた。(←こういう留学あるあるみたいなことしか言えないから話が面白くないんだろうね。)たった半年だったが、6月から11月までの1月ずつに思い出があり、本当に濃い半年だった。
 また海外に長期滞在するんなら、その国の人と同じ生活リズムで過ごしたい。という淡い期待。