2012年1月25日水曜日

美味いもの食おう!良い映画を観よう!いっぱい話そう!


 中学時代、我が家では稀にみる美女という噂の姉から色んな洋楽ファッションについてたくさんの教えを乞うた。思春期真っ只中のボクにとって、高校生の姉と言うのは神々しい存在だった。そんな姉の影響から、初めて自分でファッション誌なるものを買ったり、洋楽のCDを買ったりした。初めて美容院に行く時の、床屋とは違うあのちょっと背伸びをしたようなムズムズとした感覚が今でも懐かしい。その他にも、初めて友人と福岡まで足を伸ばし、ショッピングなるものをしたりと田舎育ちのボクには初めての連続だった。
 高校生になると、とおいという一人の変態にインスパイアされてから映画を手当たり次第観るようになった。とおいのオススメだったり、少しでも面白そうなレビュー見つけたりしたら、親からもらった昼食代500円を極限まで節約しながら100円握りしめて学校帰りにTSUTAYAに通ってた。観れる映画って限られてるから、無数にある映画の中から今日の一本を見つけだすのは” ド ”が着く素人のボクには至難の業でもあり、最高に贅沢な時間だったと今では思う。「名作」と言われるものは、何が良いとか本当に伝えたいことは何なのかとか考えずに、見栄っ張りなボクはそういう作品を手当たり次第に観続けていた。でも中には自分のお気入りと呼べるものを見つけたりと、素晴らしい作品には心の底から「素晴らしい!」と言えるようになっていった。
 大学に入ると、サークルの先輩などから誘われて「食べ歩き」なるものを経験させてもらった。大学が別府にあるので、観光地ということもあって、チェーン店よりも圧倒的に個人経営の飲食店の方が多い。個人経営の良い点は地元の食材や、旬の新鮮な食材を食べれるところにあると思う。それからは友人と美味しいお店を探したりと、「食べ歩き」にハマってしまった。旅行に行った時などは、ちょっと奮発してでも美味しい物を食べて、その地その地の味を堪能し、その地でしか感じることのできない幸福感を満喫することに味を占めてしまった。
 皆、小さいころから色んな感性に触れることで自分の中で感情だったり、人格だったりという色んなものが形成されていくんだと思う。その個人個人の感性というものは今までに経験してきたモノにのみ形成され、その人の人生を豊かにしてくれる。「人生は一度きり」とは良く言ったもので、一度しかない人生をどれだけ謳歌できるのか、それはその人の感性の幅で決まってくる。一つの感性に触れることで、全く異なったジャンルのモノに興味を湧かせてくれるかもしれない。その繰り返しで、人生はジワリジワリと広がっていく。
 ボクが様々な感性に触れることを求める最大の理由、感性に触れることによって、学校では教えてくれない新たな教養を与えてくれるところにもあるのだが、一番の理由は、「同じ価値観を持った人に出会えた時の感動」にある。ボクは、一本の素晴らしい映画に出会えた時の感動よりも、その映画を共に賞賛できる友に出会えた時の感動の方が勝ると思う。
 美味しいものを共に美味しいと言える仲間、共に腹を抱えて笑うことができる仲間がいること、これほど幸せなことは無いと思う。
 こんなカッコつけたことを21歳の若僧がいっちょまえなことを考えてた時に出会ったタイムリーな映画がある。
 16歳の主人公のジェニーは歳の離れたデイビッドと出会うことで、今までには観たことのない世界を目にするようになる。デイビッドと過ごすことで新たな発見を得られる日々。そんな大人なデイビッドに少しでも追いつけるようにタバコを吸ったり、ブランド物に身を飾ったりなどと背伸びをしようとする姿が本当にかわいらしい。彼と出会ってから彼女の人生の幅はドンドン広がっていく、その一方で本来の目的であったオッスクフォード大学への入学は遠ざかっていく。そんな間で揺れ動くジェニーの感情は必見です。後輩が「最高の恋愛映画です。」と賞賛するのがわかった。アクション映画では無いが、久しぶりに映画館で観たいと思った映画でした。オヌヌメです。
 いつものようにズラズラつまらんこと書いてるんですけど、結局何が言いたいかと言うと「ボクと遊んでください。」ということです。




2012年1月18日水曜日

APU村


 タイトルにもあるように今回は自称胡散臭い男のボクが、ちょっと怖いですけど大好きな立命館アジア太平洋大学(APU)について書いてみたいと思います。知人とかには毎回楽しそうにAPUの話をするけど、正直どんな大学かもよくわからんでしょう。「国際学生がいっぱい」が一番のイメージでしょう。パンフレットだけじゃぁあんな山の上にあるとは思わないでしょうし・・・。今回はAPUを大好きなボクが、休学してAPUを離れてから気づいたことを踏まえてAPUを一つの「村」として皮肉ってみたいと思います。何度も言いますがボクはAPUが大好きです。どうぞ優しい目で読んであげてください。ボクはみなさんの味方です。


 APU村は大分県別府市の山頂に位置する村です。村を紹介しているパンフレットにはそんな面影すらありません。村人の人種も様々で文化の異なる人々が共存しています。村の中だけでも様々な言語が存在しますが、共通の言語は日本語と英語です。村人の数は約6000人にも及び、村人の多くは他の村とは比較にならないほどの破格の高い税金を払いながら生活しています。そのため、役所からは様々なサービスが提供されています。図書館やインターネットや簡単な医療(保健室)やジムもあります。さらには他の村から来た優秀な人のありがたぁ~いお話を聞くことが可能です。全て無料。中には有料のサービスもありますが、村人はそのようなサービス(First,SRC,etc)を「貴族の遊び」と呼びます。
 驚くべきことに役所はたくさんの求人を出しています。例えば、村から出ていくために必要な単位を取得するために村人が受講する授業のお手伝いさん(TA)、商店の運営を任されるCoop店員、選ばれし者のみ入居可能なAPハウスの清掃員(ハウススタッフ)や入居者のお世話をする作業員(RA)、パソコンが上手く使えない村人をサポートするスタッフ(SA)、村の外にAPU村のことを発信し続けるスタッフ(SPA)もあります。つまり、役所はたくさんの雇用を作り出し、村人を上手く活用しながら村を運営しているのです。
 しかし、その反面その職業は村人の権威を表すと勘違いしてくる者も現れてきます。「おれは〇〇だぞ!」と叫びながら村を闊歩しているのです。危なっかしくて見ていられません。そういう村人は、村を出た途端に小さくなります。「井の中の蛙」です。可愛いですね、カエルです。個人の希望としては役所にはそういう人にこそ他の村を見せたりして、いかに自分が狭い考えをお持ちなのかを知らせてあげてほしいです。じゃないとそういう人が増える一方です

 このツインタワーは村人たちの誇りであり、APU村の重要な役所でもあります。
 向かって右側の塔には主に「行動で権力を示したい!」という人たちや村人であることを証明するために必要な「身分証明書(ID)」を無くした人などが訪れます。身分証明書を無くすことは、役所から提供されるサービスを受けれなくなるという致命的なことを意味します。さらにこちらの塔には「金払うから村から出してくれ!」という村人も訪れます。その数は年々数を増しており役所も頭を抱えているそうです。しかし、そんな村人の中にも勤勉な村人もチラホラいるそうです。APU村ではこのような右の塔寄りの村人のことを「右翼」と呼びます。
 それに対して向かって左側の塔には、主に「学力で権力を示したい!」という人たちや、入村1年目に定期的に強制的に受けさせられる英語のテスト(TOEIC, TOEFL)の結果を知りたい人が訪れます。中には結果を知りたくない人もいますが。右側の塔とは違って、こちらの塔には「おれは勤勉だったから村から出してくれ!他の村を見てみたい!」というなんとも優秀な村人が訪れます。その姿は村人の模範であり、役所はそういう村人を大切に扱います。APU村ではこのような左の塔寄りの村人を「左翼」と呼びます。
 しかし、中にはとても器用な村人もいて、どちらの塔を行き来するような村人もいます。その柔軟さは目を見張るものがあり、村人からは尊敬の眼差しで見られます。そのように、優秀な村人は役所からだけではなく村人からも認められるため、村の中で最も栄誉のある「APUな人」と呼ばれます。「APUっぽい人」は腐る程いる中でこの「APUな人」はFucking尊敬されます。
「それ以外の人たちもいるだろ?」って? 
 APU村に続く山道を途中で断念しちゃう人のことでしょう。村のサービスも使用せずにもったいない人々です。そういう人たちの多くは中央に見える噴水に飛び込むのが大好きな人たちです。そのような村人の姿は役所が発見し次第謎の失踪をとげます。
A「あいつ最近見ないね。」
B「そうだね。休学じゃね?」
こういう会話がリアルにあります。全て「休学じゃね?」でおさまります。Simpleですね。
 長々と色々書きましたが、まだ書けてないことはたくさんあります。APU生のボクがイメージするAPUはこんな感じです。
 なぜAPU「大学」としてではなく、「村」として表現したかと言うと、「その狭い村の中だけに居座り続けると、外のモノを知らなさ過ぎるよ。」ということを知って欲しかったからです。twitterにも書きましたが「APUは小さな地球かもしれないけど、小さな世界になっている。」ということです。これは完全に個人の経験から言えることで、ボクは途中で記述した「カエル」でした。可愛くないカエルでした。カエルのまま外の村に颯爽と村から出て行きました。出ていった瞬間に「ぶちゅっ!」っと踏んづけられてしまいました。めちゃめちゃ痛かったけど、今では良い経験だと言えるくらいに更生したつもりです。
 APUの恐ろしい欠点。それはAPUの中だけで満足させ過ぎて、本当の意味での外を見せることを怠っていること。見た目から言わせてもらえば、「たくさん国際学生もいるしどちらかというと外見せまくってるだろ!」って気がしますが、もっと社会に対してアプローチしていく学生が増えても良いんじゃないかと思います。学生の考えが「APUで〇〇をやろう!」とか「私はAPUで〇〇をやった!」に偏り過ぎています。本当に必要なのは「APUから社会に〇〇をやろう!」とか「私は社会に対して〇〇したぞ!」というもっと大きな視野ではないのでしょうか?「APUで成功したから他でも通用する。」なんて考えてたら間違いなく足をすくわれます。そんなに甘くないです。
 そんなAPUの中にも自分自身に甘んじることなくちゃんと「外を知ろう!」としている人たちもたくさんいます。本当にあれです。Fucking尊敬します。そのような自分たち自身を客観的に見る視線こそ今のAPU生には必要なんでは無いでしょうか?
 でもボクはそんな悪い面も良い面も持ち合わせたAPUが大好きです。この良さはAPU生のみぞ知っていることだと思います。胸を張って自慢できる大学に通わせてもらっていると言えます。それはAPUを離れてさらに強まりました。
 ボクの復学は2013年の秋セメスターからです。もし、同じ時間を過ごすことが出来る方がいれば、よろしくお願いします。一緒にAPUをさらに盛り上げていきましょう!
佐賀という遠いド田舎から生意気な長文失礼いたしました。
 ちなみに。みなさんは「右翼」でしたか?「左翼」でしたか?ボクは完全に「右翼」でした!別にどちらとも批判しているわけではないので、あしからず。
*実際には「右翼」とか「左翼」とかそういう呼び方無いのでお気をつけて。流行らないかな?
APU 3回生 国際経営学部 深川謙蔵

2011年12月31日土曜日

2011


今年も残すところあと少しとなって、2011年も終わりが近づいてきました。
後は年末の「笑ってはいけない空港」を見ながら年越しを待つのみです。
今年の年越しは、彼女とSkypeをしながらカウントダウンをするという恵まれた時間が過ごせそうです。
ちゃんと年越し蕎麦も食べないとね。
さて、話は変わりますが、2011年という年は私にとって一番の変化の年だったように感じます。
2010年の12月に次期RAのリーダ―を務めさせていただくことが決まり、2011年への期待と不安でいっぱいでした。
そんな心境の中で始まった2011年。
私自身だけではなく、世界的に記憶に残る年だったのではないでしょうか。
数々の自然災害に見舞われた年でもあり、各界のリーダー的存在だった方々の死去。
まさに新しい時代の幕開けを告げるような年だった気がします。
そんな2011年を私なりにまとめたいと思います。
≪1月≫
・彼女ができる。
・1年半勤務したABC-MARTを退職
・成人式
・自身初となるクラブイベント「For the 20th by tha 20th of the 20th's  Night」を企画・運営
≪2月≫
・姉の結婚式のために東京へ
・初のOG訪問 @ 花王
・彼女と東京から別府までの日本縦断旅行
≪3月≫
・RAリーダ―業務スタート
・3.11
・イベントの依頼がくる
・人生初スピーチ2連続
・人生初の遠距離恋愛スタート
≪4月≫
・3回生になる
・新1回生たちとの出会い
・日韓交流イベント「Tower JacK Night」企画・運営
≪5月≫
・休学を考え始める
・SFCのMC
・安藤百福奨励賞に挑戦
≪6月≫
・世界祭で「巨大巻き寿司」を作る
・人生初の銀歯
・安藤百福奨励賞受賞
≪7月≫
・無事に彼女と半年記念
・休学確定
・禅宗の催事に参加
・Francfrancに応募
・i-Phoneデビュー
≪8月≫
・立命館学生との交流会
・ブログ開始
・お世話になった人たちと呑み
・初クラブ(騒がない方)
・大分旅行 真玉海岸
・21歳になる
・愛媛上陸 彼女の実家に泊まる
・2年半住んだAPハウスから退寮
・twitterデビュー
≪9月≫
・東北でボランティア
・実家暮らしスタート
・Francfrancでの勤務開始
≪10月≫
・映画と本の感想文
・Pub the Boose Brothers勤務開始
≪11月≫
・ホテルでの勤務開始
・茂木健一郎氏の講演会スタッフ
≪12月≫
・彼女とクリスマスプレゼント交換
・HAKATA FrancfrancでFrancfranc 20周年記念ムービー撮影の手伝い。

とまぁざっとこんな感じでした。
その中から思い入れのある出来事をピックアップしてみました。


RAリーダー
気づいたら2年間も続けていたRA。
APU以外の人からしたら全然何かわからないと思うけど、凄くやりがいのある活動です。
長期休みであるにもかかわらず、地元には帰らずAPハウスにこもり、キッチンを磨き続けた。
2年目にしてRAリーダーになり、RAという複雑な組織のリーダーとして活動できた経験はかけがえのない宝物である。
研修中に3.11が起こり、まとまりかけた組織が空中分解しそうになっていた。
でも、そこでRA一人ひとりが考えて自分たちなりに起こしたアクションには本当に感動した。
本当にRAをしていて良かったと思った。


休学生活開始
10月から本格的に始まった休学生活。12月31日までの約4カ月の間に苦しいことも楽しいことも、たくさんのことを経験した。一般的な休学スタイルとはちょっと違った、「働く」ということで他では得られない経験を毎日させてもらっている。自分がいかに甘い考え方をもっていたのかを思い知らされた。仕事を選ぶにしても、お金などは関係なく本当に働きたいと思った場所で働けているからこそ色んな事を吸収できているのだと思う。この4カ月でたくさんの人に出会った。間違いなく今のこの時間は将来に役立つと言える。後悔は全くない。


Franfrancでの勤務開始
Francfrancで働く(アルバイト)ために、今休学していると言っても過言ではないくらいに大きな出来事。興味のある仕事だからこそ、嫌々やる仕事よりもたくさんのことが見えてくる。良いところも見えれば、悪いところもたくさん見えてくる。間違いなく今後役立つだろう。つい先日には「20周年記念ムービー」の撮影にも参加することができて感無量です。友達とのつながりから生まれた素敵な出会いもあって最高に楽しかった。


3つ挙げるとしたらこの3つです。
彼女ができたことによって最高の思い出がたくさんできたり、twitter始めて色んな人と繋がれたりもした。
ぼくの今年を一言で表すなら「出会いの年」だったと思います。
本当に色んな人に出会った。
「出会い」に勝るものは無いです。

2011年12月9日金曜日

特技はバントと声出し

久々にまじめ。

直接的に今の自分に就職活動は関係ないんですが、周りの勢いに乗って自己分析してみた。
ちょっと前に似たようなことやったのでなんとなくではあるが、こんな感じ?ってのが出てきた。
定番の人生遡るタイプから。

ボクは小中高とスポーツが好きだった。
小学校では野球チーム。
中・高はバスケ部。
どちらとも将来的に「イケてる。」という部類に属する男子たちが行うスポーツをしたにも関わらず、その言葉には無縁の生活を続けて21年経った。
タイトルにもあるように、ボクの特技はバント声だしだった。
小学生の時の野球チームでは、野球の花形ホームラン!というよりは自分を殺してでも仲間を進塁させる地味なバント。
中・高のバスケ部では、ガッツリ走り回ってプレーするよりは地味な声だし。6マンとかほど遠い。
どちらにおいても悔しいという部分はあったが、それが自分に一番適しているとさえ感じていた。
理由は簡単で、ボクがそれをしているとみんな嬉しそうだったから。
見た目も地味。性格も地味。自慢ではないが、初対面の人に一発で覚えられたためしがない。
でも、それが一番自分としても心地良いし、自分の個性であるとも感じている。
「みんなが楽しそうだから頑張る。」それが自分の中の軸になっているのは間違いない。
「バント」と「声だし」の共通点は、「自分を犠牲にしても誰かのために行動すること。」
シンプルに「誰かのために頑張る。」それでいいと思う。
だからどんな場に行っても、誰かのためにと思って行動する。
それが期待に応えているのかどうかはわからないけど。
「自分のため」と思って行動した時に失敗するのは、今までの経験で学んだ。
2番手でも良い、別に何番手でも良い。
誰かが喜んでくれるんだったら全力でやる。
ただそんだけ。


「バントのような人生。」

これが今の2011年12月の自分。
2年後の2013年12月におんなじこと考えてたら面白いけど、めちゃめちゃ悲しいね。
最後に、2年間休学している自分をONE PIECEの麦わらの一味の新世界突入前の2年間の修行の時期となぞらえているのは内緒。